特集:
2008/06/19 日記<一橋大学>
一橋大学
概観
大学全体
一橋大学は森有礼が1875年に開いた私塾である商法講習所を源流とする大学。第二次世界大戦前には商科専門の官立大学として開設されていた。
建学の精神(校訓・理念・学是)
産業界の指導者を育成するという建学理念をもち、「キャプテンズ・オブ・インダストリー」というキャッチフレーズは一橋大学における事実上の校是となっている。
教育および研究
一橋大学では「少人数教育を重視している」としており、特に必修のゼミナール制度はベビーブームの時代にも教員一人に対して10人前後の学生という形態を変更しなかった。またこのゼミナールでは、「学問だけでなく全人的指導をおこなっている」のも特徴であるとしている。一般の授業については、戦前は東京商科大学という単科大学であったこともあって学部間の壁があまりなく、他学部の科目を原則自由に履修することができる。戦前の学生数は大学全体で700人から1000人程度であった。戦後は付属大学予科や付属大学専門部 (旧制)|専門部を吸収して拡張したがそれでも1学年440名(1959年)〜560名(1964年)程度であった。しかし他の国立大学文系学部と同様に団塊の世代|団塊世代が大学に進学する1965年以降大幅に定員が増え、現在は学部生1学年約1000人程度である。戦前から外国人教師を積極的に任用するなど国際色ある教育が伝統で、現在500名を超える留学生が在籍しており、文部科学省の大学国際戦略本部強化事業にも採択されている。世界各国の40以上の大学等と大学間協定を締結しており、如水会|社団法人如水会等からの支援を受け授業料・旅費・生活費が全額給付される毎年40名を超える海外留学制度がある。
学風および特色
産業界の指導者を育成するという建学理念があるため、卒業生は「官僚養成を目的に設立された帝国大学|旧帝国大学とは違う」という考え方を持っている。現在の大学の名称が学生の投票により決められ、学長選において学生の投票を最後まで認めていた事実から関係者は「学生の自由を重んじる校風をもっている」と考えており、現在でも学長選・副学長選では学生による参考投票がおこなわれている。大学院重点化は既に完了している。
沿革
年表
基礎データ
所在地
このほかにサテライトキャンパスとして丸の内産学連携センター(東京都千代田区丸の内2-4-1丸の内ビルディング10階)が設置されている。また2004年に一橋大学としては初となる海外拠点(北京事務所)を中華人民共和国|中国北京市に設置。
教育および研究
組織
学部
大学院
附属機関
研究
文部科学省の大学国際戦略本部強化事業に採択されている。
教育
EUインスティテュート・イン・ジャパンにて、日本の研究教育拠点校として指定されている。2007年度から一橋大学学業優秀学生奨学金制度という給付奨学金制度がスタートした。学生の経済状況に関わらず優秀な者を表彰し、さらに学習に励んでもらうことを目的としている。学部在学生及び卒業生を対象としており、年間96万円支給されている。また、他の奨学金との併用も認められている。ただし、大学院生は受給対象外である。
学生生活
学園祭
KODAIRA祭は新入生の祭として、6月に国立キャンパスの東地区で開かれている。
一橋祭は11月はじめに国立市のお祭り天下市とあわせ行なわれる。かつては学園祭の締めくくりとして時計台前の池に酔っ払ったまま飛び込む「池落ち」とよばれる行為があった。しかし、酔っ払ったままで水に飛び込むことの危険性が指摘されたため、最近では一橋祭の期間中は池の水が抜かれることになり、そうした慣習はなくなった。しかし一橋祭の期間外では今でも「池落ち」をする学生が見受けられる。
スポーツ
東京大学との対抗戦は一橋大学の前身である東京商科大学時代から続いており、端艇部(ボート部)、陸上競技部、ゴルフ部、ホッケー部など様々な運動部で開催されている。両大学では東京大学の「東」と一橋大学の旧称である東京商科大学の「商」を取って、商東戦(東商戦)と呼ぶ。また、単に相手校の名を冠して東大戦(商大戦・一橋戦)と呼ぶこともある。特に端艇部(ボート部)の東京大学一橋大学対校競漕大会は体育会以外の学生や出身者も観戦に訪れるため、他の同対抗戦と比べて盛大である。
大学関係者と組織
大学関係者組織
一橋大学の同窓組織は如水会|社団法人如水会といい、文部科学省所管の公益法人となっている。もともとは東京高等商業学校同窓会であったが、1909年に発生した申酉事件を契機に同窓組織の強化が唱えられ、1914年に母校防衛を基本理念とする如水会として改組された。如水会館は如水会のクラブ会館として建設された建物で、運営は東京會舘が行っているものの土地建物は如水会の所有となっている。
大学関係者一覧
施設
キャンパス
国立キャンパス
国立キャンパスは東京都道146号国立停車場谷保線|大学通りを境に西地区と東地区に分かれている。
西地区
東地区
*東守衛所文化財
国立キャンパスには古い建物が多く、以下の建物が国登録有形文化財となっている。
伊東忠太設計、ロマネスク建築|ロマネスク様式、鉄筋コンクリート造2階建
木造平屋建、瓦葺
伊東忠太設計、ロマネスク様式、鉄筋コンクリート造2階建
神田キャンパス
学術総合センタービルを指す。国立情報学研究所が入居していることから学術総合センタービル自体は同研究所の所有と見られることが多いが、実際には一橋大学の所有である。 :画像:Hitotsubashi-Hall_(1993).jpg|一橋講堂(1932年竣工) の跡地。
小平国際キャンパス
かつての東京商科大学予科およびその後の一橋大学小平分校(教養課程)が設置されていたキャンパス。1996年春に小平分校が廃止され、その後1年間一部の授業が行われた後、一旦閉鎖されたものの申酉事件を想起する如水会員からの懸念表明もあり、国際交流を主体とした施設を置くキャンパスとして再度開設された。
対外関係
他大学との協定
東京外国語大学
電気通信大学
東京学芸大学
東京農工大学
東京外国語大学
電気通信大学
東京学芸大学
東京農工大学
津田塾大学
東京外国語大学
東京工業大学
東京医科歯科大学
国際基督教大学
東京外国語大学
津田塾大学
早稲田大学
慶應義塾大学
上智大学
社会との関わり
申酉事件
申酉十二支のうちの二つ。1909年の干支は己酉なので、辛酉は何かの誤りであろう。事件(しんゆうじけん、辛酉事件とも表記する)とは、文部科学省|文部省が東京高等商業学校の専攻科を廃止して東京大学|東京帝国大学へ統合する省令を発令したことに対する東京高等商業学校側の反対運動を総じて指し示す際に使われる言葉である。申年の1908年から酉年の1909年にかけての事件なので「申酉事件」という。1900年頃、東京高等商業学校は、渋沢栄一を中心に帝国大学とは別に商科大学という制度を設け、東京高等商業学校の専攻科を商科大学へ昇格させるように陳情活動を実施していた。これに対して、当時の文部省は「大学は帝国大学のみでよい」という考えをもっており、1907年に商科大学という制度を設けることにしたものの帝国大学に設置する考えを改めなかった。1909年5月6日には東京高等商業学校専攻科を東京帝国大学法科大学の商科として東京帝国大学へ移管、同専攻科を廃止する省令を発令した。この文部省令に対して、東京高等商業学校に在学していた約1500人の全生徒および同窓会が猛反発、臨時学生大会において総退学を決議し、抗議の姿勢を表した。東京高等商業学校側の姿勢に対しては当時の財界人の支持があり、新聞各紙の論調も東京高等商業学校に同情的であった。この結果、文部省側が折れることとなり、1912年には東京高等商業学校専攻科を存続させる文部省令が発令され、東京高等商業学校はそのまま残存することとなった。この事件は東京高等商業学校のみならず多くの官立大学、そして私立学校が大学への昇格を求めるきっかけとなった。さらにその後大学令が制定され、旧制専門学校が旧制大学へ昇格する端緒となった。
その他
脚注
Wiki関係他プロジェクトリンク
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