特集:
2008/06/01 日記<九州大学>
九州大学
概観
)
大学全体
九州大学は、1949年に旧制九州大学等を包括して設置された国立大学である。2003年に九州芸術工科大学を吸収し、2004年に国立大学法人による設置へと移行した。九州帝国大学を直接の母体としている。さらに九州帝国大学は、1867年に設立された賛生館を起源としている。
教育および研究
九州大学では大学院大学|大学院の全学重点化の完了とともに、学府・研究院制度を導入した。この制度の導入とともに研究機関としての大学院組織を「研究院」、教育機関としての大学院組織を「学府」という別の組織に分割した。九州大学関係者は「この処置に伴い、研究上のニーズと教育上のニーズという2つのベクトルの異なるニーズに対応して柔軟に組織を編成できる制度となった」と考えている。研究院には教員が、学府には大学院生が、学部には学部生が所属し、教員が学府や学部に出向する形で教育を行う。なお、基本的に研究院長が学府長・学部長を兼務する。2006年3月現在、この制度が全学的に導入されているのは九州大学だけであるが、部分的にはいくつかの大学で導入されている。2007年時点で、ノーベル賞受賞者は九州大学から輩出されていない(帝国大学#ノーベル賞|参照)。重点化の目的は、優秀な研究者の養成と研究レベルの向上にある(帝国大学#論文の引用動向|参照)。
沿革
略歴
1867年、当時福岡を統治していた黒田藩は賛生館という医学教育を行う藩校を天神 (福岡市)|天神に設立した。1872年に学制が施行されるといったん廃校となったものの附属病院はその間も継続した。同病院は1874年に福岡県立修猷館高等学校|修猷館の附属診療所となり、1879年には福岡県立福岡医学校の附属病院へ改組された。福岡県立福岡医学校が廃校となった後は福岡県立福岡病院として存続することになる(1896年6月22日、現在の病院地区である福岡県筑紫郡千代村に移転)。1886年に帝国大学令が公布されると九州に帝国大学を設置する機運が高まり、1900年1月29日の第14帝国議会において「九州東北帝国大学設置建議案」が可決された。建議案の可決後も古くから医学の盛んだった長崎県や第五高等学校 (旧制)|第五高等学校が設置されていた熊本県との間で誘致の綱引きが行われていたが、結局は賛生館の流れを汲む福岡県立福岡病院を母体に京都大学|京都帝国大学の分科大学として福岡医科大学が設置された。その後は資金難により九州帝国大学の設置は進まなかったが、古河財閥から1906年に「福岡工科大学、仙台理科大学、札幌農科大学」の建物建設へ寄付の申し出があり、設置の動きが高まることとなる。古河財閥の寄付金約100万円のうち6割ほどが九州帝国大学工科大学校舎建設の資金として当てられ、さらに福岡県の寄付金によって1911年1月1日に九州帝国大学が設立された。残りの4割は札幌農学校の東北大学|東北帝国大学農科大学昇格(1907年9月)と東北帝大理科大学新設(1911年1月1日)のために用いられている。こうした経緯から本稿では創立年を賛生館の設立した1867年、大学設置年を九州帝国大学として独立設置された1911年としている。1947年に帝国大学令が国立総合大学令に改められると九州大学と改称した。1949年には福岡地区に所在していた旧制九州大学、九州大学附属医学専門部、福岡高等学校 (旧制)|福岡高等学校、久留米工業専門学校 (旧制)|久留米工業専門学校を包括して新制大学|新制九州大学が設置された。旧福岡高等学校の施設と教員は九州大学第一分校(1955年第二分校と統合し九州大学分校、1963年より教養部)に引き継がれ、旧久留米工業専門学校は第二分校(1955年第一分校との統合により廃止)が設置され、旧陸軍歩兵第四十八連隊兵舎跡に第三分校(1951年廃止)が置かれた。2003年には国立大学法人化を視野に入れ、法律第29号により九州芸術工科大学を吸収。2004年には国立大学法人法の規定により、国による直接設置から国立大学法人による設置へと移行した。
年表
基礎データ
所在地
九州大学には大きく分けて6つの校地が福岡都市圏の各地にある。さらに別府にも校地がある。九州大学ではそれぞれの校地をキャンパスではなく、地区と呼んでいる。
象徴
入学状況
2007年度の入学者2,687人中、出身高校所在地別入学者比率は、九州・沖縄地方が76.3%(福岡県42.5%)と最も多く、以下、中国地方12.3%、四国地方3.3%、近畿地方3.3%、その他4.7%となっている(→帝国大学#入学状況)。
教育および研究
組織
学部
人文学科
経済・経営学科
経済工学科
物理学科
化学科
地球惑星科学科
数学科
生物学科
医学科(6年制)
生命科学科
保健学科
歯学科
創薬科学科
臨床薬学科(6年制)
建築学科
電気情報工学科
物質科学工学科
地球環境工学科
エネルギー科学科
機械航空工学科
環境設計学科
工業設計学科
画像設計学科
音響設計学科
芸術情報設計学科
生物資源環境学科
21世紀プログラム
九州大学の学士課程には21世紀プログラムというコースがある。専門性の高いゼネラリストの育成を掲げて2000年に設置された。各学部から1名から数名の入学定員を割り当てられ、AO入試によって学生が選抜される。また、1・2年次生の21世紀プログラムへの転籍制度もある。21世紀プログラムに入学した学生は学籍の管理上どこかの学部に所属してはいるものの、自身がどの学部に所属しているかは知らされず、21世紀プログラムの学生として扱われ学籍番号も固有のものが与えられる。必修科目が少なく、一部の科目を除いて全学部のほぼ全ての授業を受講することができる。このコースを選択した学生は大学で学ぶ内容を自主的に方向づけ決めなければならないように教育課程が設定されている。この教育プログラムは、2003年度の文部科学省特色ある大学教育支援プログラムに採択された。
大学院
#教育および研究|前述のように、九州大学では大学院組織が研究部/教育部(九州大学では研究院/学府)に分けられている。研究院には教員が所属し、大学院生は学府に所属する。
研究院
学府
実践臨床心理学専攻(専門職学位課程)
産業マネジメント専攻(専門職学位課程、ビジネススクール)
医療経営・管理学専攻(専門職学位課程、ビジネススクール)
附属機関
生体防御医学研究所
応用力学研究所
先導物質化学研究所
情報基盤研究開発センター
生物環境調節センター
熱帯農学研究センター
アイソトープ総合センター
中央分析センター
留学生センター
産学連携センター
総合研究博物館
システムLSI研究センター
宙空環境研究センター
韓国研究センター
医療系統合教育研究センター
高等教育総合開発研究センター
超伝導システム科学研究センター
感性融合創造センター
21世紀COEプログラム
21世紀COEプログラムとして、9件のプロジェクトが採択された。
教育
2004年度採択
2003年度採択
2004年度採択
2006年度採択
2004年度採択
学生生活
スポーツ
大学関係者と組織
大学関係者組織
同窓会
九州大学の同窓会には、13の部局別同窓会とその他地区別に組織されている同窓会があり、九州大学同窓会連合会がそれを束ねている。1999年に設立され、地区別同窓会の設立を支援するなどの活動をしている。
学士会
旧帝国大学の出身者および学長、教授、助教授経験者で構成される団体として学士会|社団法人学士会があり、九州大学関係者も多数入会している。詳細は、学士会を参照。
大学関係者一覧
施設
地区
九州大学では九州各地に分立している校地を「キャンパス」ではなく「地区」と呼んでいる。
六本松地区
馬出 地区
箱崎地区
筑紫地区
大橋地区
伊都 地区
別府地区
移転計画
九州大学はキャンパスの狭隘さ・老朽化に加え、箱崎キャンパスは福岡空港に近いうえ滑走路延長線上に位置するために航空機が発する騒音公害にさらされており、移転が計画されてきた。1970年代には筑紫キャンパス(春日市、大野城市)への全面移転が計画されたが、実現しなかった。その後新たに計画が策定され、平成17年度(2005年度)首都圏の大学が一度キャンパスを郊外に移転させ、その後回帰を開始した時期に重なる。後期から10年間をかけて、箱崎、六本松キャンパスの設備・組織を福岡市西区 (福岡市)|西区の元岡地区に移動することが決定した。
首都圏の大学が軒並み都心への回帰を進めているのに対しこれは逆行する動きではとする意見もある。だが国立大学である九州大学は教育機関であると共に研究機関としての役割を重く担っており、施設を充実させ、これにより優れた業績を出していく必要があり、学生の利便性を最優先する私立の大学とは異なる戦略をとるのは致し方ないとする意見もある。これに対し同じく国立の東京大学は理系の学部は交通の不便な千葉県柏市|柏に一部キャンパスを移転させて、文系の学部は本郷 (文京区)|本郷に留まるというそれぞれの学部に適したキャンパスの配置を進めており、九州大学もこれに倣い文系学部は都心部に留まるべきとする意見もある。
概要
福岡市西区 (福岡市)|西区、前原市、志摩町にまたがる里山に新キャンパス(伊都キャンパス)を建設し、そこに九州大学を移転する計画。2005年10月から3回にわけて移転し、最終的な移転完了は2019年を予定している。当初は大学病院の移転も検討されたが、病院が現在より交通の不便な土地に移ることは利用者の利便性を損なうという観点から、馬出地区(病院および医学部・歯学部・薬学部)は移転しない。これはキャンパスの郊外移転に伴って医学部、歯学部の全面移転を実行し不評だった大阪大学の失敗を教訓としている。また、旧九州芸術工科大学である芸術工学部も移転計画が策定されたのが両大学の合併前だったためか移転の対象からは外れており、現在の大橋キャンパスにとどまる。新キャンパス用地からは多数の古墳が発見され、九州大学関係者の間からは「その取扱いをどうするのか」というも声もある。また、九州大学関係者の間からは「工事計画は環境共生を謳うものの、計画そのものが環境破壊だ」「新福岡空港構想の候補地の一つに糸島半島が挙げられているが、その建設決定と運用に伴う騒音公害についても先行きが不透明だ」という声も上がっている。
移転の理由
九州大学は、移転の理由として、次のような内容を広報している。
計画の内容
3期の計画からなっている。まず2005年度〜2007年度に工学系キャンパスを移転させる。あわせて理系図書館と食堂・寄宿舎の整備も行う。続いて2008〜2011年度は残りの用地取得と整備を行う。その次の2012年度から2019年度にかけて順次建物を移転する予定となっている。馬出地区(医系)・筑紫地区(総合理工学府)・大橋地区(芸術工学部)の移転計画は無く、各地区での教育が続く事になる。
現況
2005年10月1日よりまず工学部機械航空工学科・物質科学工学科とその関連大学院を対象に開講した。しかし完成していない部分も多く、同学科が利用する棟においても室内工事等は同日以降も続けられていた。2005年12月7日、水素ステーションの試運転中に酸素パイプ破裂事故が起こった。2006年度後期より、電気情報工学科、地球環境工学科、エネルギー科学科が移転し、建築学科を除く工学部の移転が完了した。この第2期開講時にも、今回開講分の施設は一部未完成だった。学生寮は2006年秋から1棟が供用されている。図書館・食堂・自販機・売店(大学生協とローソンの計2店舗)・書店(紀伊国屋書店)・現金自動預け払い機|ATM等が利用可能である。なお、開校後の正式キャンパス名は「伊都地区」であるが、計画段階で使われていた「元岡地区」の呼称も浸透している。「伊都」というのは、キャンパスが立地する糸島半島にあったとされる伊都国にちなんで前原市などがしばしば用いている愛称であり、住所表記上の地名ではない。
利害
伊都地区への移転に関しては様々な議論が存在する。; 主張されている利点
: 大学が広報している問題点が解消される。特に学生にとってはキャンパスが統合されるというのが最大のメリットである。現在は学生は日によって別々のキャンパスに通う必要があるばかりでなく、場合によっては1日のうちにキャンパス同士を移動して授業を受けなければならないが、完全にキャンパス統合が完了すればこのような非効率性が解消されることになる。また航空機の騒音がなく、快適な環境での研究が可能である。伊都地区と福岡市中心部との距離は20km 程度で、バス路線が設けられる最寄駅(九州旅客鉄道|JR筑肥線九大学研都市駅)とは 4km 程度であるので、もし不便を都市中心部とのアクセスと受け取るならば、さほどの不便さはない。
: 市街地から遠く離れ、周囲にあまり人家がない地域に新キャンパスを建設したことで交通が不便になった。これは人の繋がりを研究する文系には致命的である。またバス・鉄道を含む公共交通機関の貧弱さは否めず、研究室在室の学生のみならず教授らの批判も受けている。現在移転しているのが実験・研究などで夜が遅くなる事が多い理系であるにもかかわらず、夜間の交通手段がほとんど整備されていない。また自動車・バイクでの通学者の増加による騒音や排気ガス、交通事故の増加が懸念される。また開校して間もないがゆえに今のところは学生街が未形成のため、学生の受け入れ先となり得る不動産物件が不足していたり、周辺にコンビニエンスストアやスーパーマーケットなどの店舗が少ないなどの問題もある。箱崎地区では地下水を大規模に利用していたが、伊都地区では地元との協定により利用できない。これらに対し大学側はアンケート配布やインターネット上での意見募集を行っているが、現状では有効な解決手段がない・検討するとの回答も多くガス抜きとの批判もあり、寄せられた意見が状況改善に実際に役立てられる事は少ない。移転のメリットが表れるのは全面移転が完了した後であり、移転の最中においてはかえって不便が生じる。移転中に学生時代を過ごす学生たちにとっては今まで以上に不便さが増す事となる。
: 多くの学生は移転をあまり快く受け入れていないようである。現在の箱崎、六本松キャンパスとも、福岡の中心街である天神 (福岡市)|天神に近く交通の便もいい。現在の学生にとっては伊都地区への移転にメリットを見いだしにくいのが現状である。また移転に伴う引越しの負担も大きい。大型の機械や膨大な量の蔵書を移動させなければならないということもあり、わざわざそれだけの労力を払ってまで不便な土地に移転することに不満を抱えている教授・学生も多い。この傾向は研究において広い場所や最新鋭設備などの整った環境を必ずしも必要としない文系学生、そして各種設備が整わないまま第一期に移転が行われる工学部学生において顕著である。また学生自らの引っ越しに伴う金銭的負担や、キャンパスの分散化による交通費増加の不満も大きい。例を挙げると、割引回数券を利用しても箱崎〜伊都間で1往復につき1000円が必要となる(ただし、西鉄バスのエコルカード(バス乗り放題の定期券)利用の場合を除く)。
対外関係
他大学との協定
大阪大学
京都大学
東京大学
東京工業大学
東北大学
名古屋大学
北海道大学
鹿児島大学
熊本大学
青山学院大学
新潟大学
社会との関わり
米軍兵士生体解剖事件
太平洋戦争中の1945年5月から6月にかけて、生体解剖事件が起こった。福岡を空襲した際に撃墜され捕虜とされたB-29 (爆撃機)|B-29の乗組員の米軍兵士8名が、九大医学部解剖室で生体解剖(代用血液実験、肺・肝臓の切除)された。終戦後に連合国軍最高司令官総司令部|GHQにより関係者の日本の戦争犯罪|戦争犯罪容疑での逮捕・取り調べが行われ、1名の自殺者を出した。他に関係者5名が絞首刑の判決を受けたが、その後減刑され最終的には全員が釈放された。これに関して九州大学は軍の支持の上での教授ら独自の行動であり、大学当局は無関係だという立場を取った。『海と毒薬』など、この事件を扱う書籍やテレビ番組、映画なども多数存在する。九州大学生体解剖事件を参照。
戦闘機墜落事故
1968年6月2日22時45分頃、アメリカ合衆国軍|米軍板付基地所属のF-4 (戦闘機)|F-4(ファントムII)戦闘機|ジェット戦闘機が当時建設中の大型計算機施設の建物に墜落。以後、学生運動が活発化した。
九州大学のオリジナルグッズ
:環境創造舎九大生有志が設立したNPO法人と地元の酒造業「杉能舎」が共同で「九州大吟醸」を製造して販売している。売上金の一部は九大新キャンパス移転地域の環境保全活動、文化の保全活動に役立てられる。
:九州大学の学生を福岡ではいも九(いもきゅう)と呼んでいた時代がある。垢抜けない(=イモな)九大生という意味である。この呼び名を地元福岡の菓子製造「五十二萬石如水庵」の社長であり九大出身者でもある森恍次郎が面白がって、生活協同組合|生協と協力して芋餡のパイ菓子を九州大学応援菓「いも九」として売り出している。この菓子の売り上げの1%は、「九州大学学術研究・教育奨励助成金」として九大生の課外活動の費用に寄付されている。
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脚注
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